大部な書物である、内容がなかなか食いつけないのは、その中には夥多《かた》異様の彩色絵で充たされている、その彩色絵が一種異様なグロテスクのみを以て充たされていて、いわゆるさしえの常識では全く歯が立たない。何を書いてあるものか知ら、これぞ世間に言う「真言秘密の法」を書いた本に違いない、ということを、その時にお銀様が感じました。
「真言秘密の秘伝書」――これは研究して置かなければならない、と心がハズンだのは秘密そのものの魅惑で、この女王は秘密を好むのです。その時は秘密の法は即ち魔術の一種で、超自然力以上の魔力の秘伝がこの本に書いてある、この本を読んだ人が役《えん》の行者《ぎょうじゃ》になれる――というような世俗的魅力がお銀様をとらえたのですが、その直下《じきげ》にこれをこなすの機会と時間とを与えられなかったから、いつか「阿娑縛抄」を読み解いてみせるとの心がけだけは失われていなかったのですが、それがあの時の火事で、すっかり焼けてしまいました。そのことを今になって、くやむの心がお銀様の胸に動いて来ました。
 お銀様は剛情です。わからないことはわからないとして、知らざるを知らずとして問うことは、こ
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