前の通り、押しつぶされるように前屈みの姿勢で、えっちら、おっちらと歩み出し、岩倉村を経て東山の方へ姿を消してしまいました。
六十二
ここは、三千院とは対岸的の存在。三千院の大伽藍《だいがらん》に比べると、極めてみすぼらしい存在ではあるが、その名声を以てすると三千院にもまさる寂光院。
寂光院の塔頭《たっちゅう》に新たなる庵《いおり》を結んだ、一人の由緒《ゆいしょ》ある尼法師、人は称して、阿波《あわ》の局《つぼね》の後身だとも言うし、島原の太夫の身のなる果てだと言う者もあります。
この尼法師、年はもはや五十路《いそじ》を越えているが、その容貌はつやつやしい。机に向って写すは経文かと見ると、そうではなく、平家物語の校合《きょうごう》をしているのであります。
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「文治元年|九月《ながつき》の末に、かの寂光院へ入らせおはします。道すがらも四方《よも》の梢《こずゑ》の色々なるを、御覧じ過ごさせ給ふ程に、山陰《やまかげ》なればにや、日もやうやう暮れかかりぬ。野寺の鐘の入相《いりあひ》の声すごく、分くる草葉の露しげみ、いとど御袖濡れまさり、嵐烈しく、木
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