行きなさる」
 これは、こちらから尋ねてしかるべき言葉なのですが、重い荷物に押しつぶされている老婆は、咎《とが》むべき人に咎められても否やは言えない。
「やれやれ、お腹がすきました」
 もう我慢がしきれないもののように、竜之助の前で前のめりに、のめってしまいました。
「お気をつけなさい」
「どうも有難うございます、もうもう、お腹がすいて、トテも歩けませぬ」
 この老婆は、荷物が重いということを言わないで、お腹がすいたことばっかり言っている。八升炊きの釜の重さは、どうつぶしにかけても八貫目はあるでありましょう。この老いぼれの身で、八貫目の釜を背負い歩くということは、事そのことだけで、圧倒的の重みであろうのに、重いことは言わないで、お腹がすいたことだけを言う。そこで前のめりにのめって、老婆は、己《おの》れを圧しつぶした八升炊きの釜の下から這《は》い出したと見ると、その釜を立て直したが、ちょうど、そこに頃合いの大石が二つ三つ並んでいたものですから、その上へ、件《くだん》の大釜を仕掛けて、やがて近いところの樋《とい》の水を引いて、釜の中へ適度に流しかけたかと思うと、今度は、近いところの落葉枯枝
前へ 次へ
全386ページ中283ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング