あるとか、そうでなければ、身たとえ名門良家に生れたにしてからが、放たれ、棄てられたと同じ月日の下に置かれた人の子が、こういうところへ送り込まれるのだ。あわよくば名僧智識にもなれようけれど、それは千万人に一人。そういうわけだから、存外、この買出しは楽かも知れない。そんなような謀叛気がお角さんの頭にむらむらと湧いて来たのは、実行の如何《いかん》にかかわらず、商売商売の冥利《みょうり》だから仕方がありません。
だが、それともう一つ異った人情味に於て、お角親方は、あの小僧をつれ出して、友公と引合わして兄弟名乗りをさせてやりたい、そうすれば二人も喜んで、こっちも功徳になる――なんぞという人情味も大いに湧いているのです。これとても独断千万なことで、似ているからといって、それが兄弟ときまったわけのものではないが、さすがのお角さんの頭も、今日の瞬間には、想像と実際とが混乱していると見える。
九
三位一体を醍醐《だいご》へ向けて送り出して後の不破の関守が、がんりき[#「がんりき」に傍点]の百蔵を端近く呼んで、こう言いました、
「がん[#「がん」に傍点]ちゃんや、洛北の岩倉村に大バクチがあるが、行ってみる気はねえか」
「そいつは耳寄りですねえ」
と言って、がんりき[#「がんりき」に傍点]の百が、耳から先に、関守氏の膝元へ摺《す》りつけて行きました。
普通の青年ならば、バクチなどという言葉を聞いてさえ苦々しく思うのですが、そこは、がんりき[#「がんりき」に傍点]の百ちゃんのことですから、それと聞くや、耳よりだと言って身体《からだ》を摺りつけたのは浅ましいものです。それと知りながら、浅ましい心に誘惑をかけた不破氏の挙動も、断じて君子の振舞でないと言わなければなりますまい。
「行ってみな、お前は今まで関東のバクチは相当に功を積んでいるとのことだが、こっちの方の大バクチは見たことがあるまいから、後学のために見て置きなせえ」
「有難い仕合せ」
ますますよくないたくらみです。後学のためにも、前学のためにも、バクチなどは見学して置かなくてもよろしい。むしろ、そういう見学は避けた方がよろしい、避けしめるのが、先輩のつとめというものだが、ここで嗾《けしか》けるようなことを言う関守氏は、その言葉つきからしてわざと下品に砕けて、
「行くなら行ってみな、資本《もとで》としてはたん
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