下げ]
「鎮護国家ノ法タル大元帥御修法ノ本尊、斯法《しほふ》タルヤ則《すなは》チ如来《によらい》ノ肝心《かんじん》、衆生《しゆじやう》ノ父母《ぶも》、国ニ於テハ城塹《じやうざん》、人ニ於テハ筋脈《きんみやく》ナリ、是ノ大元帥ハ都内ニハ十|供奉《ぐぶ》以外ニ伝ヘズ、諸州節度ノ宅ヲ出ヅルコトナシ、縁ヲ表スルニソノ霊験不可思議|也《なり》」
[#ここで字下げ終わり]
 音をたどればそういうような文言を読み上げているのだが、お角さんには、そのなにかがわからない。ただ、お経を読み上げているとのみ聞えるのですが、わからないのはお角さんばかりではない、読んでいる御当人もわかっているのではないから、ただ音を並べているだけなのが、そこが即ち、お角さんの言う門前の小僧が習わぬ経を読むもので、こうして無関心に繰返しているうちに、説明となり、密語となって巻舒《けんじょ》されることと思われます。
 お角さんは、そのいわゆる、習わぬ経を繰返す門前の小僧の咽喉《のど》が意外にいいことを感づくと同時に、これをひとつもの[#「もの」に傍点]にしてみたら、どんなものであろうという気がむらむらと起りました。
 もの[#「もの」に傍点]にするとは、何かお手のものの商売手に利用してみてやろうじゃないかという謀叛気《むほんぎ》なのであります。このお寺の納所《なっしょ》で、案内係であの小坊主を腐らせてしまうのは惜しい。惜しいと言って、なにも惜しがるほどの器量というわけではないけれど、米友でさえも、利用の道によっては、あのくらい働かして、江戸の見世物の相場を狂わしたことがある。いまさし当り何という利用法はないが、一晩考えれば必ず妙案が湧く。第一、あのお経を読んでいる咽喉がステキじゃないか、咽喉が吹切れている、あれを研《と》いで板にかければ、断じてもの[#「もの」に傍点]になる――とお角さんが鑑定しました。
 発見と、鑑定だけでは、もの[#「もの」に傍点]にするわけにはゆかぬ。人間を買い取るに第一の詮索《せんさく》は親元である。親元を説くことに成功すれば、人間の引抜きは容易《たやす》いことだ。ところで、あの小坊主の親元ということになってみると、存外|埒《らち》が明くかも知れない。というのは、いずれもあの年配の子供を寺にやるくらいのものに於て、出所のなごやかなるは極めて少ない。いずれは孤児であるとか、棄児《すてご》で
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