の親方は、いつもこの暴女王ばっかりが苦手《にがて》なのです。
なるほど、お角さんという人は、信心者は信心者に相違ないけれども、その信心たるや、あまりに広汎にして色盲に近く、その祈念たるや、あまりに現実的にして取引に近いだけのものです。それは熱田神宮へ参詣して、そっと茶店の女中に耳打ちして、「この神様は何にきく神様なの」とたずねて女中を面喰わしたことでもわかります。ドコの荒神様《こうじんさま》を信心すれば金談がまとまるとか、ドコの聖天様《しょうてんさま》は縁結びにあらたかだということは、江戸府内ならば大抵は暗記していて、おのおのその時と事件に合わせることを心得ての信心ですから、いわば神仏に信心を捧げて置いて、それからお釣を取ろうという信心なのです。そうかといって、その信心を捧げた神様仏様がお釣をくれないからと言って、それを怨《うら》むようなことは微塵《みじん》もなく、それはちょうどこの時分に、神様が御不在であったり、さらずば自分の信心の仕方に足りないところがある。己《おの》れの信心の誠意は自ら疑うことはないが、その作法に何ぞ神様仏様のお気に召さないことがあって、それでお聞入れにならないから信心が届かない、こう信じているのだからかえって己れを直《なお》くすというわけで、この点では、やはり功利以上に超越した信心者の名を許して、さしつかえがないと言わなければなりません。
二
かくて、この三位一体は、山科から醍醐《だいご》への道を、小春日をいっぱいに浴びて、悠々閑々《ゆうゆうかんかん》と下るのであります。道は勾配《こうばい》になっているわけではないが、さながら満帆の春風を負うて、長江に柔艫《じゅうろ》をやるような気分の下に、醍醐へ下るのであります。
お角さんは、称して、お嬢様は御信心のために醍醐へいらっしゃるのだと言う。御当人は、それを排して、わたしが醍醐へ行くのは信心のためではありませんと言いきったが、それでは信仰以外の何の目的を以て行くのか、それは言いません。さりとて、今はその時でないから、醍醐までお花見と言ってもそれは成り立ちません。単純に散歩の気分ならば、なにも特に醍醐を指定する理由もなかろうと思われるけれども、それを問いただすことをしないのが、お角さんの気象でもあり、信心者の大らかさでもあり、且つまた、この暴女王をあしらいの勘所《かんどこ
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