ろ》でもあると思いますから、お角はあえてそれ以上には押すことなく、また押すべき必要もないと口をつぐみます。
しかし、本来を言えば、お嬢様の醍醐をたずねる目的は、三宝院の庭と絵とを見んがためでありました。
それをそそのかしたのは不破の関守氏でありまして、関守氏は、つい昨晩、お銀様に向って、こんなことを言いました――
「醍醐の三宝院へ参詣してごらんなさいませ、あそこの庭が名作でございます、しかし、庭よりもなお、その道の人を驚かすのは、国宝の絵画彫刻でございまして、その絵画の数々あるうちに、ことに異彩を極めたのは大元帥明王《だいげんみょうおう》の大画像でございます、大元帥《だいげんすい》と書きましても、帥の字は読まず、ただ大元明王と訓《よ》むのが宗教の方の作法でございますが、あの大画像は、いつの頃、何者によって描かれたものか存じませんが、いずれは一千年以前のものでございましょう、幅面の広大なること、図柄の奇抜なること、彩色のけんらんなること、いずれも眼を驚かさぬはありません。但し、眼を驚かすために描かれたのではなく、密教の秘法を修する一大要具として描かれたものに相違ございませんが、絵そのものが、たしかに素人《しろうと》をも玄人《くろうと》をも驚かさずには置きません、実にめざましいグロテスクを描いたものです。大元帥明王――そのいかにグロテスクであるかは一見しないものにはわかりません、宗教的にはなかなか以て神秘幽玄なる見方もあるに相違ございませんが、これを単に芸術的に見てですな、芸術的に見て、実に筆致と言い、墨色と言い、彩色といい、全体の表現と言い、すばらしいものです。ことにその彩色が――彩色のうち、人目を奪う紅《あか》と朱《しゅ》の色が大したものです。なにしろ千年以上の作というにかかわらず、朱の色が、昨日|硯《けん》を発したばかりの色なんです、今時の代用安絵具とは違います、絵かきが垂涎《すいえん》しておりますよ、こんな朱が欲しいものだ、ドコカラ来た、舶来? 国産? いかなる費用と労力をかけても、それを取寄せてつかってみたいとの心願を致しますけれど、あんな朱はドコで求めることもできません、科学者は研究をはじめましたが、今以て、その原料が何物であるかわからんそうです、動物質か、植物質かさえもわからないのだというのですから――つまり、千年の昔に悠々として使いこなした顔料を、千
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