《めつけ》としては、その老巧から言っても当然その人ですから、ほとんど隔晩には船へ泊りに来て、船は、今やこの三人だけの世界のようになっているのです。
時たま、田山白雲が、船を見舞に来ることもあるが、これはウスノロにとっては最も苦手で、この人が来るとウスノロは、船室の中にすくんで扉を閉して出て来ません。兵部の娘の姿が見えると、白雲が何かとからかうものだから、娘も恥かしがって、なるべく姿を見せないようにしている。それだから船も白《しら》けて、さすがの白雲も、ここへやって来ることに気が向かない。画の資料を取寄せる際の極めて必要の場合でない限り、船へ来ることは稀れです。
駒井甚三郎も、最初のうちは、ちょくちょく来て見たけれども、これは、二人を叱りも、からかいもしないけれども、二人の方で気が置けて、やっぱり姿を見せないことにつとめているし、駒井もまた、二人の存在を無視して、仕事を片づけては行くものですから、ほとんど没交渉のようなものです。それさえ、この数日間は姿を見せない。毎日一度は来た駒井船長が、船へ姿を見せないことによって、陸の方の事務がそれだけ忙しいことがわかります。忙しいというよりは、それは、あの晩の事あって以来のことですから、お松を必要とする限りに於て、駒井はその新館の一室から、助手を手放すことを好まない。ほとんど終日を二人は、一室のうちに扉をおろし、カーテンを卸して研究に耽《ふけ》ることさえあるのです。このごろは、開墾地の見舞をさえも怠りがちになることすらあります。
「船の中でも、そうでしたが、よくまあ、あれだけ根《こん》がつづくものですねえ、朝から晩まで本を読んで、調べものをなさって、それでお飽きになるということがない、お手助けをなさるお松さまも、学問がお好きの道なればこそで、ほかの者ではつとまることではございません、殿様もよく勉強をなさるが、お松さまの仕事も、ほかの人でつとまりっこはない、お好きの道とは言いながら、よくもあんなに精がつづくものでございますね」
と、無邪気なお喜代が、同情のあまり、七兵衛に向って感歎して言いましたが、七兵衛は、
「人間、好きな道には命さえ投げ出すよ、仕事というものは、外《はた》で人の見るほど苦になるものじゃない」
駒井がここへ来て、新しい研究に熱中の度を加えたとの評判は、お喜代の眼にばかりではない、誰の眼にも、舌を捲いて感歎す
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