。村正といえば、相当の凄味《すごみ》のある名ではあるが、この通客はあんまり凄味のない村正で、諸国浪人や、新撰組あたりへ出入りのとも全く肌合いが違い、まず体《てい》のいいお洒落《しゃらく》に過ぎない。
しかし剣術の方は知らないが、学問だけはなかなかある。ちょいちょい脱線したところを見ると、洋学がかなり達者なようである。多分その洋学で、多分の実入《みい》りがあると覚しく、金廻りはかなりよろしく、使いぶりも悪くない。それが「村正村正」で持てるのは、人柄そのものが、村正そのものの名からして起る凄味とは縁が遠い男であるにかかわらず、さしている刀だけが自慢の「村正」であるというところから、あたりが「村正村正」ともてはやしたというに過ぎない。事実、村正を差していると自分から花柳界へ触れ込む男なんぞに、そんな凄いのはないはず。
この男は、勝負事――といっても当事流行の真剣白刃のそれではない、一月から十二月までの花と花とを合わせて遊ぶ優にやさしい勝負事が大好きで、勝った時はいいが、負けてすっからかん[#「すっからかん」に傍点]になると、ドタン場で自慢の「村正」を投げ出し、さあ、これを抵当《かた》に取
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