二千の餓死者が京都の市中に曝《さら》されたといったような現実の体験は少しもなく、全国の諸侯は競《きそ》ってここへ集まるにつれて、諸般の景気はよくなる。幕末インフレの景気を、京都がひとり占めにしているといったようなもので、時代の中心は、江戸を離れて京都に帰ってしまったようなものですから、未来と将来とに思いを及ぼさない限り、京都の市場はインフレの天地であります。
そうして景気というものの前兆も、現証も、まず花柳界に現われたものだから、京都の遊廓《ゆうかく》の繁昌というものが、前例を越えているというのもさもあるべき事です。
そこで当然、日本色里の総本家と称せられた島原の廓《くるわ》はいよいよ明るい。今宵《こよい》も新撰組の一まきらしいのが大陽気に騒いで引揚げたことのあとの角屋《すみや》の新座敷に、通り者の客の一人が舞い込んでいる。この人のあだ名を俗に「村正《むらまさ》」と言っている。士分には相違ないが、宮方か、江戸かよくわからない。江戸風には相違ないが、さりとて、生《は》え抜きの江戸っ児でない証跡は幾つもある。遊び方はあんまりアクが抜けたとはいえないが、「村正どん」で相当以上に持てている
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