)の法然頭《ほうねんあたま》を振り立てるためには、素《す》であった方が見栄《みば》えがする。脱いで高紐にかけ――と言ったような、実用とダテ[#「ダテ」に傍点]の事情に制せられたのかも知れないが、今日の弁信は網代《あじろ》の笠をかぶっている。同時に、背中から頭高にかかった、雨と露と埃《ほこり》で汚れた、あやめもわかぬ袋入りの琵琶というものの存在が消滅して、その代りに、藁《わら》の苞入《つとい》りの四角な横長の箱と覚しきものを背負っている。
 一方、宇治山田の米友に至ると、めくら縞《じま》の筒っぽはいつも変らないし、これは竹の皮の饅頭笠《まんじゅうがさ》をかぶっているが、この男が饅頭笠をかぶることは珍しいことではない。
 最初、伊勢の国から東下《あずまくだ》りをする時代から、この種の笠をかぶりつけてもいるし、尾上《おべ》の後山《うしろやま》の復活の記念としての跛足《びっこ》は、今以てなおってはいないのだから、それは一目見れば誰でも、それ以外の何者でもないと感づかれるはずなんですが、つい、うっかりしていました。
 二人が二人であるとわかってみれば、二人が二人であることに異議はないのですが、二
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