を探知した新撰組が、隊長近藤をはじめ精鋭すぐって出動し、一網打尽にこれを襲撃して、七人をこの場で斬殺し、四人に負傷せしめ、二十二人を召捕った大捕物、というよりは小戦争に近い乱刃であった。近藤勇の名を成したのはそもそもこの時からはじまったと言ってよい。時は元治元年の六月五日。
 これはいわゆる勤王方に対する、幕府の手先としての新撰組の正面襲撃であったが、後の高台寺|鏖殺《おうさつ》は、朝幕浪士の争いとは言えない。そのバックには幾つの影があるにしても、もとはと言えば、みんな同じ釜の飯を食った仲間の同志討ちであった。
 近藤勇方の手によって殺された伊東甲子太郎も、以前は同じ新撰組の飯を食ったもので、それが御陵衛士隊になって分裂し、新撰隊長近藤勇に隠然として対峙《たいじ》する御陵衛士隊長伊東甲子太郎が出来上ったとは前巻に見えたし、伊東が近藤の謀計で誘《おび》き寄せられて、木津屋橋で殺された顛末も前冊にあるはず。伊東を殺したのも、芹沢を殺したのも、近藤の手であることには相違ないが、その殺され方の性質が違っている。芹沢は兇暴にして、隊長の威信を傷つくるが故に殺された。伊東は全然諒解を得て新撰組を離
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