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一鉢千家飯
孤身幾度秋
不空又不色
無楽還無憂
日暖堤頭草
風涼橋下流
人若問此六
明月浮水中
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 これを、高らかに和吟して、「一鉢千家の飯《いひ》、孤身幾度の秋、空《くう》ならず又|色《しき》ならず、無楽|還《また》無憂、日は暖かなり堤頭の草、風は涼し橋下の流、人|若《も》しこの六を問はば、明月水中に浮ぶ」と吟じ了《おわ》ってから、この六なるものの事蹟に就いて語り合いました。
 これは昔、この川の岸に一人の乞食の行斃《ゆきだお》れがあったから、それを水葬してやろうと、ある坊さんが抱き起して見たら、乞食の懐ろの中に、この詩が書いて入れてあったということ。
 なるほど、遠目で見たのでは、単なる求食人種の移動に過ぎないが、ここでこの話しぶりを聞いていると、以ての外。こいつらも世を欺く横着もの、大応大徳のそれに匹敵すべきか、乞食の六や桃水尊者《とうすいそんじゃ》と比ぶべきや否やは知らないが、トニカク、乞食を生きるものでなくて、少なくとも乞食を楽しむことを解している。それもどうやら、今日昨日の附焼刃らしいが、それでも楽しむことを知ることに於て、
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