もなく、刀を抜こうでもないが、その身そのままが構えになっている。
源松に於ては、依然として三間ばかりを遠のいた地点にいて、あえてそれより遊客に近づいては来ないのです。源松の眼を見ると、二つの眼を、二つに使い分けをしていることがわかる。すなわち一つはこの橋上の送り狼に、もう一つは川下をわたる二人の乞食に、双方に眼を配って、一本の捕縄をしごいて、空しく立っているらしい。
それはそのはずで、優れた猟師といえども、方向の違った二つの兎を同時に追うことはできない。まして、相手は兎ではなくて狼である。
このきわどい場合にも、さすがに源松は打算をしました。そこで、がらりと気分を崩して、あわただしく、いったん取り上げた捕縄を再び懐中にねじ込んでしまって、
「いや、どうも、川下に変な奴が川を渡っておりまするでな、ひとつ様子を見届けて参りたいと存じますが、その間、相済みませんが、ここで暫くお待ちを願いたいのでございます、なあに、直ぐ戻って参ります、どうか、暫くの間、ここのところで」
妥協を申し入れるような口ぶりで、急に折れて来たのは、つまり、ヒットラーではないが、同時に二つの敵を相手にすることは、
前へ
次へ
全402ページ中130ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング