民で、主人から禄をもらって養われたさむらいという階級の出身でないことは勿論、その表看板の剣術にしてからが、天然理心流の一派の家元といえば武芸流祖録には出ているが、柳生だの、心陰だの、一刀流だのと比べては比較にならぬ田舎剣術、いわばなんらの氏も素姓もないところから、飛入りで、今は徳川直轄の扱い、旗本のいいところ、今日では若年寄の待遇になって、諸侯と同じ威勢で京の天地に風を切っている。事実、京都に於ての彼の勢力は、かいなでの大名では歯が立たない、大諸侯といえども彼の勢力を憚《はばか》らずしては事がなせない。いずれは関東に於て、甲府百万石を賜わって国主になるなんぞと、もてはやすものもあるが、まんざらの誇張とも思われぬ。事実、彼が戦国時代に生れていたら、当然、一国一城の主になれる身だ、人殺しをするが天職、殺人業の元兇などとホザく奴の口の端《は》を裂いてやりたい、いずれ元亀天正以来の大名小名で、この殺人業をやらなかった奴が幾人ある、槍先の功名というやつが即ちそれなんだ、何をひとり近藤勇のみそれを責める」
斎藤一の口吻は、近藤勇の崇拝にはじまり、讃美に進み、その弁妄《べんぼう》となり、釈明となり、ついには相手かまわずの八つ当りとなってしまいました。
こうなって来ると、衾《ふすま》の上に就眠の体勢にこそついたが、眠れなんぞされるわけのものではない。いよいよ昂奮しきってしまって、斎藤は罵《ののし》るべきを罵って快なりとしている。
だが、程経て、これは、ひとり気焔を揚げているべき場合ではない、話の最初は、自分の相手方になって、自分の昂奮を冷然として倦《う》まず引受けているその相手方に向って、近藤勇に会え、と簡単に勧誘を試みたことから出立しているのだと反省してみると、そこで昂奮がおのずから静まり、
「とにかく、そういうわけだから、君も食わず嫌いを避けて、一度近藤勇に会って見給え。君を近藤に会わせたからとて、一味に懐柔しようということではない、また懐柔されるような相手でもなし、懐柔したところで結局、こっちが厄介者――ただ、世間の奴等の誤解と、誤解を誤解として放任するのみか、その誤解説の伝播宣伝を目的とするやからが横行しているから、それが残念で、誰でもいいから、一人でも認識を新たにする奴が出て来れば、こっちの腹が癒《い》えるというものだ。どうだ、ひとつ会ってみないか」
ここで、話は緒《いとぐち》に戻ったのである。すべては無頓着に受けていても、こういう単純明白な勧誘には、否とか、応とか、簡単でよろしいから挨拶を与うべき義務がある。ところが、会おうとも、会うまいとも答えないで、
「近藤は何を用いている、刀は何を好んで使っている」
あらぬ方へ話頭を持ち出したが、それも全然つかぬことではないから、斎藤は不承不承に答えて言った、
「虎徹《こてつ》だよ――刀は虎徹に限ると言っている、近藤は虎徹が好きらしい、虎徹もまた近藤に好かれそうな刀だ」
「近藤の虎徹も古いものだが、あれは偽物《にせもの》だと言うじゃないか」
「偽物説――それも聞いたよ、江戸を立つ時に、ぜひ性のいい虎徹が欲しいと苦心した末に、ようやく手に入れたのだが、あれは偽物、あまり虎徹虎徹とせがまれるので、刀屋が偽銘の虎徹をこしらえて、近藤に売りつけた、それと知らず秘蔵名代の虎徹にしてしまった近藤の甘さ加減を、あとで刀屋が舌を出して笑ったという話は聞いているが、その噂《うわさ》の真偽のほどは知らない、いい刀はいい刀だ、拙者は確実に虎徹と信じている、よし虎徹でないまでも、近藤が虎徹と信じて買入れるほどの刀だ、まして、近藤自身の手にかけて、その切れ味を保証した刀だ、もし虎徹でないとすれば、虎徹以上の刀だと言ってよろしい。実際、虎徹もその人を得ざれば猫徹《ねこてつ》となり、猫徹も近藤に持たせれば虎徹《とらてつ》となる、猫めが――」
近藤勇と虎猫があやになって、少しこんがらかって来る。ちょうどそこへ、庫裡《くり》の方から猫が一匹出て来たからです。寺院に猫はふさわしいようでふさわしくない、ふさわしからぬようでふさわしい、白猫が一匹出て来て、左見右見《とみこうみ》、天井の方を向いて前足をのしたかと思うと、竜之助の方へ向って、のそのそと歩いて来るのを見たから、それをカセに斎藤が、話の中へ猫を織り交ぜてみたのか、猫を織り交ぜる途端に猫が出現したのか、どちらも偶然にして因縁事がありそうに思われる。今いう通り、寺院に猫――寺院というものは葷肉《くんにく》を断つことを原則としているのだから、寺院の庫裡に養われる猫は営養が不良でなければなるまい。何を食って生きている。斎藤はこの偶然を奇なり奇なりと感じたらしく、
「貴様、猫か、猫ではあるまい、化け物だろう」
と言って、猿臂《えんぴ》をのばしてその猫をかいつかんで、己《
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