生井北風、胸悪ハクショウ……」
「ロクでもねえやつらだな」
「いずれも当代の選り抜き、現在の我が国にも、これだけの芸人がいるてえところを毛唐に見せてやるには不足はござんすまい」
「ふふーん」
「なお、人選に御異議があるとか、御不足があるとか思召《おぼしめ》したら、今のうちにおっしゃっていただきてえ」
「恥を毛唐にまで晒《さら》し、お笑い草を後の世にまで残すためにゃ、こんなことも鐚《びた》相応のもくろみだ、やるんなら、邪魔が入らねえうちに、お安いところで手っとり早くやんな」
「有難え――御異議がなければ、これで御披露の――お安いところで手っとり早く」
「万事、お安いところで手っとり早くやらなけりゃ手柄にならねえ。やんな、大いにやってみろ」
「ことごとく殿様の御賛成を得て、鐚一代の光栄。やります。これを御披露に及べば、これこそ一代が、あっ! さすがに鐚だ! よくまあこの難物を、こうも手際よく、お安いところで手取り早く纏《まと》めもまとめた、さすがに鐚だ、鐚ちゃんに限る、鐚ちゃん、あんた、人が悪いわ、鏡のおいらんを入れて、なぜ蓮池の姐さんを入れないの、恨むわ、なんて睨《にら》まれるが怖いんでげす。そこはそれ、断の一字でげしてね、かく致してお安いところで、手取り早くまとめてしまってからの万事でげす」
「しっかりやれ! 鐚が男を上げるか、下げるか、この一戦にあり!」
 神尾が、うわごとのように、むやみにけしかけるものですから、鐚の野郎が無性《むしょう》に嬉しくなってしまいました。
 神尾としては、お安い野郎にはお安い仕事をさせて置くに限る、お安いところで、手っとり早く手柄をさせたつもりで喜ばして置けばいいと、深くとり合わないでいるらしいが、実は心はそこにあらずして、目ざめてから以来の、神尾としては全く異例な頭の置きどころに安定を求めているらしい。
 すなわち、神尾の頭では、果して徳川が亡びた暁には……天下が田舎侍の手に帰した時、我々旗本として、甘んじて、その下風に立って制を受けていられるか、芸娼院のやからならば知らぬこと、やくざというやくざをし尽してはいるが、おれは先祖以来の徳川の旗本だ、おれはこれだけの人間だが、先祖の血が許さない。
 死ぬ! おれは徳川のために死ぬ、江戸の城を枕に、江戸の町が灰になる時は、おれの面目も灰になる時だ! おれの死ぬのは、お家大事のために死ぬのじゃない、今さらそんな忠義面をするほど、おれは本来、利口に出来ていないのだ、徳川のために死ぬのじゃない、薩長共が憎いから死ぬというわけでもない、神尾は神尾として、曲りなりにも――曲りなりなんというと、曲らないところもあるように受取れそうだが、おれが今までの生活で、どこに曲らないところがある、曲り切って、それを押通してここまで生きて来たのも、生かされて来たのも、煎じつめると、江戸勢力下なればこそのことだ、つぶれても、倒れても、旗本の沽券《こけん》がものを言えばこそのことだ、おれは外藩の又者共が、のさばり返る世の中に生きちゃいられねえ、忠義じゃない、意地だ、徳川のために死ぬんじゃない、神尾主膳の面目のために死ぬんだ、立派に死ぬよ!
 神尾の頭の中は、その覚悟で一杯になりきっている。それとは知らず鐚は、今日は珍しく、神尾が自分の名案にケチをつけず、一も二もなく賛成してくれることに有頂天になり、お安いところで一刻も早くこの名案に目鼻をつけて、江戸中をあっ! と言わせなければならないと、夢中になって、芸娼院のことを考えている、その徹底的に恥のない生き方を見ると、神尾も苦笑せざるを得ない。国家興亡の際に、芸娼院の設立を目論《もくろ》んで、有頂天になっている。
 人生、鐚となって生きるか?
 神尾となって死ぬるか?
 それだけの問題だよ……神尾は嘲笑しながら嘯《うそぶ》きました。

         九十一

 尾張名古屋城下第一の美人とうたわれた銀杏加藤《ぎんなんかとう》の奥方と、その弟|伊都丸《いつまる》と、岡崎藩の美少年|梶川与之助《かじかわよのすけ》のその後の物語が、久しく打絶えておりました。
 その記憶をよみがえらせるために、読者諸君は大菩薩峠の「年魚市《あいち》の巻」から「不破の関の巻」あたりをもう一度読み返していただきたい。
 名古屋の城の見えるところを立去りたくないという姉と、肥後の熊本へ帰りたいという弟との意向の相違が、病める弟のいじらしさに引かされて、姉なる銀杏加藤の奥方は、ついに主従引具して、尾張の清洲の山吹御殿から、肥後の熊本へ向けて出立することになりました。
 やむを得ざる武士道の意気地から人を斬って、三州岡崎城下を立退くことになった、伊都丸の友なる美少年梶川与之助もまた、この姉弟に加わって九州へ身を避けようとして旅立って、それがお銀様、お角、宇治山田の米
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