やからの人品骨柄《じんぴんこつがら》が、こちらの暗いところの神尾主膳の眼にはっきりわかる。今し「どっこいしょ」と言って、何物かをどっさりと地上へ卸したその物体もよくわかる。それは鋤《すき》、鍬《くわ》、鋤簾《じょれん》のたぐいです。そうして五六人、火を囲んだ連中の面ぶれを見ると、よくありがちの労働者――大きな口をあいて、首へよれよれの手拭を捲きつけて、仕事にかかる前のおさき煙草。それを見ると主膳は直ちに、こいつ墓掘りだ、隠亡《おんぼう》共だわい、と気取《けど》りました。隠亡が墓地へ墓穴《ぼけつ》を掘りに来るのはあたりまえの看板だから、少しも恐るるには足りない。少なくとも、自分を執念深く追いかけて来る追手の一隊ではないことは明瞭であるから、その点は主膳も安心したが、さて、隠亡にしても、あいつらがああしている時に、うっかり音を立てて動いては、やはり事こわしの部になる。あいつらが仕事にかかるまで辛抱してやろうという気になりました。
ところが、その、あいつらの仕事にかかるまでの時間が甚《はなは》だ長い。こっちの気も知らないで、大口をあいて、いよいよ無駄話に夢中である。くだらない者共だと忌々しながら、主膳はそのあいつらの言うことを、巨細《こさい》いちいち耳に受取らないわけにはゆかない立場に置かれてある。その無遠慮な隠亡共の問答の一ふし――
「あしたあ、また、浪人者が八人ばっか、斬られるだあ」
「八人斬られるかね、そりゃ、近ごろの大漁だ、穴の方もそれだけでっかく[#「でっかく」に傍点]掘らざあなるめえ」
「そうだ、こねえだの倍《べえ》くらいに掘らざあなるめえがな」
「近ごろは、浪人者も、でえぶおとなしくなったらしいなあ」
「そりゃ、掃部様《かもんさま》の時代たあ、いくらか違わあな」
「掃部様の時代は凄《すご》かったなあ」
「凄かったあぜ、今日も、明日も、浪人共の首斬り、さらし、束《たば》になって来るだあが、近ごろは浪人者がおとなしくなったなあ」
「浪人がおとなしくなったじゃあるめえ、お役人の方がなまくらになったのじゃあんめえか」
「そりゃ、そうだ、近頃ぁお役人がなまくらになっただあ、浪人者の方は、いい気になって、いよいよあばれ廻ってるだあ」
「薩摩っぽうが、一番たちが悪いちうじゃねえか」
「ううん、長州の方が、もう一層たちがよくねえんだとさ」
「町奉行の方が、浪人者に対《てえ》して怖れをなしてるんだから、いよいよ甘く見られちまわあな、それに比べると、何といっても、掃部様はエラかったな」
「掃部様はエラかったよ、浪人者のめぼしい奴は、片っぱしから引っとらまえて、御三家であろうと、大名であろうと、公卿侍であろうと、容捨はなかったあ、掃部様は豪勢だったよ」
「あの時にお前、やられた侍のうちにゃ、またエライ奴がいたんだてな、長州の吉田寅次郎だとか、越前福井の橋本左内だとか、梅田うんぴん、なんて手合は、ザラにあるインチキ浪士とは違って、惜しい人物だって、みんなが言ってるが、そんなのを片っぱしからとっ捕めえて、命乞いがあろうがなかろうが、南瓜《かぼちゃ》をきるように、首をちょんぎってしまった、あんな芸当は掃部様でなきゃ出来ねえ」
「そうだ、そうだ、このごろの浪人共ののさばり方といったら、いってえどうだ、旗本の意気地なしときたらどうだい」
「全く増公《ますこう》の言う通りだ、どだい徳川の旗本が意気地なしだあから、そうだあから、又者《またもの》の国侍共《くにざむれえども》が、浪士風を吹かして、お江戸の真中をあの通りのさばり返っていやがる、旗本が意気地がねえんだ」
「そうだとも、旗本八万騎が何だい、旗本がすっかり骨無しになっちまったから、浪人がのさばるんだな、徳川の世も、こうなっちゃいよいよお陀仏《だぶつ》だ」
「時勢が変動するよ」
それを聞くと、神尾主膳はムッと聞き腹です。隠亡風情《おんぼうふぜい》として許し難き冒涜《ぼうとく》の言い草だ、隠亡風情までが、こうまで時の天下を見くびるようになった!
神尾主膳は、追われている自分の身の危険を忘れて拳を握り、髪の毛を立てて怒りました。
八十五
しかし、いくらなんでも、この際、飛び出して、隠亡相手に喧嘩を買って出るほどの無茶も為《な》し難い。やむなく、憤りを抑《おさ》えて、なお元のままでひそんでいると、隠亡の時勢論は焚火の勢いと共にまた火の手をあげる。
「もう一ぺん掃部様が出て来なくちゃ駄目だな」
「そうだ、もう一ぺん掃部様が出て来て、浪人共に目にもの見せてやらねえことにゃ、将軍様が持ちきれめえ」
「いよいよ江戸が将軍職を持ちきれねえとなると、天下はどうなるだあ」
「そりゃ薩摩にやられるだろうてことだぜ」
「薩摩っぽうが天下ぁ取るのか」
「そうよ、薩摩っぽうは、昔から徳川の天下を覘《
前へ
次へ
全92ページ中79ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング