馬を異常に感ぜしめました。それは特にそう感じたわけではなく、峠の上で、検見衆の役人にあんなことを言われたものですから、それが暗示になって、強《し》いてそんなに感ぜしめられたのかも知れないが、たまたま有る家という家に、人が一人もいない。
 家はわりあいに大きいので、材木を豊富に使っているから宏壮な感じさえするのですが、どうも人の気配《けはい》がない。家はなくとも、人があれば賑《にぎ》やかなものだが、家あって人のないのはすさまじい。
 かくて、村の中程まで来ると、そこに広大な墓地があって、夥《おびただ》しい人がその墓地に集まっているのを発見しました。夥しいといっても、この山間の部落のことですから知れたものですが、老若男女の数を尽して、ほとんど村民が全部この墓地に集まって来ているもののようです。してみると、葬式でもあるのか。
 だがどう見直しても、葬式とは全く見られない。ねんごろに逝《ゆ》くものを葬う重厚な村の儀式気分は少しもなく、みな、憂心※[#「りっしんべん+中」、第3水準1−84−40]々《ゆうしんちゅうちゅう》として墓地に群がり、ある者は墓の前に額《ぬか》ずき、ある者は墓を抱いてみな泣いている。声を上げないで、すすり泣きに泣いている。親が泣くから子も泣く。子が泣けば爺が泣き、婆が泣き、妻が泣けば夫も泣く。皆しくしくと、それぞれの墓を囲んで泣いている。いよいよ葬式とすれば、こんな中心のない葬式というものはない。もし葬式だとすれば一軒残らずの葬式である。一時にそんなに死人が出来たはずはあるまい。この異様なる光景を見ると、誰しも一応は、事の仔細を問いただしてみたくならずにはおられない。あれほどに検見衆の役人から予告を受けた兵馬も、眼前この異様な気分に打たれてみると、このままでは通過し去るに忍びないような、心残りを生じました。
 だが、できるだけは無言にして通り去ろうとすると、通り去るには、やはりその人混みの墓地の間を、一応通過しなければならない道筋になっている。それに当惑しながら、ぜひなくその中へ二人が侵入すると、筵《むしろ》をしきひろげていたおかみさんが、あわただしく筵を引っこめて、おわびを言いました、
「お邪魔さまでなあ」
「御免下さいまし、おとむらいでございますか」
 おかみさんの好意に対して、福松がこれだけのお世辞を言わずにはおられませんでした。
「おとむらいではございません、村が水になると言うて、皆が心配してなげいておりやすがな、遠からず、この村が水にされてしまいますげな」
「村が水になる?」
 兵馬も、つい足をとどめて不審をもって見直すと、
「はい――さきほどもごろうじませいな、竿入れに役人衆がお見えなされましたわな、この村という村、谷という谷が、日ならず水になりますといな、白山白水谷の水をこれへ落して、ここが大きな池となりますえな、わたしら、先祖の御魂《みたま》まつり場がござりませぬでな」
「はあ――そうでしたか」
 兵馬は、憮然《ぶぜん》として、要領を得たような得ないような心持で、そのまま墓地を突破してしまいますと、それから多少の間、やはり人家はあるにはあるけれども、人のいないこと、前の通りである。
 とにかく、村の老若男女は、数をつくしてあの墓地へ集合してしまっていることは間違いがない。足を早めるともなく、兵馬ら二人は足を早めて、ついにこの部落を出切ったところと覚しい、また小高い山道に立って、言い合わせたように二人が、過ぎこし村を見おろし、
「お気の毒ね」
「どうも要領は得られないが哀れだ」
「かわいそうですね」
「かわいそうだ、要するに、白山白水谷の水をこの村へ落して来て、この村全体を湖水にしてしまうのだ、住民は先祖の地を失うと言うて歎いている、先刻の役人が、人心の動揺を刺戟するなと言ったのはこれだな」
「この谷底を水にして、何になさるつもりでしょう」
「何にするつもりか――」
 そういう二人の疑問は疑問として、さて、日下《ひさが》りにもなってみれば、村人のために心配してやるよりは、差当り、自分たち二人の身の上の今晩のこと、まだ日はやや高しとも、いまの村あたりに宿を求める心算《つもり》で来たのだが、ああしてこの村を無気味に通過してしまえば、次の村まで伸《の》さなければならぬ、次の村といっても、飛騨《ひだ》と、越中と、加賀との山つづきだ、これから先、どのくらい行って、どこに家があるのか、そのことはわからない。

         五十

 兵馬は今夜の塒《ねぐら》について苦心経営の思いをしているけれども、福松はいっこう一寸先のことには気を遣《つか》っていない。かえって、それを痛快とするふうにさえ見えました。この女は、最初から――この旅を無上に嬉しい旅路と心得て、しょっちゅう浮き立って歩いている。新婚旅行の旅とも思
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