だのということほど、道庵先生に縁の遠いものはないのですが、転向ばやりとでもいうのでしょう、とうとうこの先生がハイキングをやり出したことに於て、容易ならぬ非常時を想いやることができるというものでしょう。
ところは北上川の沿岸でもなく、恐山の麓でもありません、近江の国の琵琶の湖畔の胆吹山《いぶきやま》に向って、道庵先生がハイキングを試み出しました。
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「コノ日、天気晴朗ニシテ、空ニ一点ノ雲無ク、乃《すなは》チ一瓢ヲ携ヘテ柴門《さいもん》ヲ出ヅ……」
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明治のある時代に於て、小学校の課目の中に「記事文」というものがありました。その記事文に、一定の型があって、たとえば「車」という課題の下には、
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「車ハ木ト金ニテ作リ、荷ヲ運ブニ用フルモノナリ」
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といったような型でしたが、ある時、或る学校で「楠木正成」という課題を出しました。大楠公《だいなんこう》のことに就いては、修身課に於ても、読本課に於ても、充分の予備知識が与えてあるのだから、先生もその点は安心して、右の課題を出したのですが、一人の生徒の答案に
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