した。
 それから、もう一つは、本業たる画師としての画嚢《がのう》を満たさんがために、未《いま》だ見ざる名山大川に触れてみようというのと、持って生れた漂泊性を飽満せしめようとの本能もありました。
 そうして、ゆくりなく、この渡頭に立って見ると、たずねるところのマドロスが、遠眼鏡の視野の中に完全に落ち来ったものですから、いずれにしても、この向う岸を距《へだた》ること程遠からぬ地点に潜在しているのだ。だが、茫漠たる地形であってみると、これは白昼に草の根を分け探すよりも、むしろ夜間を選んだ方がいい、というのは、火食を知って以来、人類の生活には火が附いて廻る。内部に向って食物を送るためにも、外部よりして体温を摂取するためにも、光を起して自ら明らかにし、他の暗黒を救うためにも、火は人生の必須であって、人生すなわち火なりという哲学も成り立つ。そこで、火を認め得れば必ず人があり、人のあるところには必ず火がある。そうして、火というものは、昼間に於てよりは、夜間に於てその存在をいっそう明瞭にする。
 こういう見地からして、田山白雲は特に夜を選んで駈落者の所在を探索に、ここへこうしてやって来たというわけな
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