でつして来たものらしかったが、ここに至って柳の老大樹の林を全く後ろにして、そうして広い原の真只中へ露出しました。
 右手には翁倉《おうくら》、黒森《くろもり》の山々が黒く十三浜の方に続いている。その広い原の真只中で、さきほど月に向って唐詩を微吟したところの大きい方の黒い影が後ろを顧みて、
「君、恐山《おそれざん》という山は、よっぽど高い山かね」
 その声を聞くと、それは日中、渡頭《わたしば》を徘徊していたところの、下野《しもつけ》の足利の貧乏にして豪傑なる絵師田山白雲に相違ありません。そうすると、振返って呼びかけられた後ろの小さい方の黒法師が直ちに答えました、
「高い山じゃないですね、そう大して高いという山じゃないです」
 直ちにこう答えたのは、これも日中、渡頭で居合抜きの芸術を鮮かにやってのけて見せたが――旅行券では、すっかり悄然返《しょげかえ》ったところの恐山出身の柳田平治に相違ないのです。この二つの黒法師は、黒法師っぷりとしてかえって調和がありました。田山白雲はすぐれて容貌魁偉《ようぼうかいい》であるのに、柳田平治は普通よりは小柄です。白雲の刀も普通よりは長いには長いが、身体には
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