はあり、その後、封ぜられた大名もありましたが、なにしろ豊公の故地では果報負けがすると見えていつきません、それ故に、長浜の地はその後長く城主の手を離れて、市民の商工地として成り立って来ました。ずっと武家の城下とはならず、町人の市場となって今日になってまいっているような次第で、徳川家の天下では、最初に於て、どうしても豊公の威と徳とを銷《け》したがる政策に出でたのは是非もありません――そこで、この土地の住民に於ても、豊公の余威をなるべく隠そう隠そうとつとめたような形跡もないではない、それが一つの原因かどうか、当寺なども、このように微禄仕りました。長浜別院大通寺の方は、本願寺の勢力であんなに宏大であるが、この寺はごらんの通り見すぼらしいものになっているのが、かえってまた保身の道によろしい点もあって、存在を認められないくらいに微禄しておりますればこそ、今日でも寺の周囲に相当の遺蹟も残っておれば、おたずねのような宝物も保存せられている、それをどうかすると聞きかじってたずねて来るものがあるけれども、たいていは、左様なものは昔はあったかも知れないが、今日はもう行方不明じゃ、とこのように申して謝絶してお
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