て再建せられたものであるかという論争は、問題としても、人文史上の由々しき大問題であり、学者としても、論争甲斐のある論争に相違ありません。
吾人《ごじん》は、右に就いて、明治以来、錚々《そうそう》たる学者博士の意見を読みました。近頃は博士号の権威もだいぶ疑わしくなってはいるが、この法隆寺問題の論争に出没する博士たちは、たしかに博士らしいおのおのの権威を見せて、人意を強くするものがある。
それらの学者博士たちの勇ましい武者ぶりの間に、ひときわ優れて見える一人の博士がある、喜田貞吉博士という。
いずれ、件《くだん》の学者博士たちの造詣のほどに優り劣りはないとして、再建論者の第一陣、喜田博士の如きは、武者ぶり特に鮮かで、敵も味方も、一応は鳴りをしずめて耳を傾けざるを得ないほどの武者ぶりであるのです。
ところがその素晴しい喜田貞吉博士でさえが、安達の黒塚には兜《かぶと》を脱いでいる――すなわち右の喜田貞吉博士は、どうした拍子か、安達の黒塚の所在地は、陸前の名取郡の今の秋保温泉《あきうおんせん》のあたりがそれだと明言してしまったものである。そうすると、仙台の国学者小倉博翁をはじめ、藤原相之
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