えって怯《おび》えたような声で、
「おや、誰だえなア、今頃、戸を叩くのは」
「ちょっとお頼み申します」
「誰だえなア」
「ええ、旅のものなんでございますが、道に迷いましてからに」
「旅の衆かエ――まあ、どちらからござらしたのし」
「ええ、西の方から参りました」
「西の方から、では、小平《こだいら》の方からいらしたな」
小平が西だか東だか知らないけれども、七兵衛は、この際、よけいなダメを押す必要はないと考えて、
「はい、左様でございます」
「ほんとかなあ、よくまあ、この夜中に、鬼にも喰われねえで……」
「え……」
と、七兵衛がまた聞き耳を立てました。先方のいま言った言葉の意味は、よくまあこの夜中に鬼にも喰われないで、無事にやって来たな――とこういう意味に相違ないから、七兵衛が先《せん》を打たれてしまったように感じました。鬼に喰われずにここまで来たんではない。これから鬼に対面して、喰われるか、喰うかの土壇場《どたんば》のつもりで来ているのだ。
七兵衛の狼狽《ろうばい》に頓着なく、先方は早や無雑作《むぞうさ》に土間へ下りて来て、七兵衛の叩いた戸を内からあけにかかりながら言うことには、
「
前へ
次へ
全551ページ中411ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング