いかに科学の力に乏しい七兵衛とは言いながら、いかにまた土地柄が奥州安達ヶ原とは言いながら、田村麿《たむらまろ》の昔ならいざ知らず、今の世に「鬼」なんぞが棲んでたまるか――と冷笑するくらいの聡明さを持たない七兵衛ではないが、こういう時間、こういう場合に置かれてみると、どうしてもその聡明さが取戻せない。ばかばかしいと思いながら、やっぱり、あちらに見えるあの一つ家は鬼の隠れ家だ、そうでなければこんなところに、こんなに一軒家の生活が成り立つわけのものではない。
七兵衛は、鬼の存在を、事実に於て否定しながら、想像に於て、どうしても絶滅を期することができない。
しかし、この際に於ては、鬼であろうとも、夜叉であろうとも、取って食われようとも、食われまいとも、あの一つ家を叩いてみるよりほかはない。まして自分として、鬼とも組もうというほどの力持ちではないが、なにもそう鬼だからといって、弱味ばかりを見せていていい柄ではない。おれも武州青梅の裏宿七兵衛だ。安達の鬼が出て、食おうとも言わない先から逃げては名折れになる。
ここで、はじめて七兵衛は、鬼に対する一種の敵愾心《てきがいしん》と、満々たる稚気とを
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