は、どう紛れこんでも、何かある。山神村祠か山小屋、瓜小屋の類《たぐい》を、どこかの隅で見つけないことはないのだが、奥州安達ヶ原とくると、ないといえば、石っころ一つない――土を掘って、穴を作って寝るか、木の上へ枝をかき集めて巣を作って眠るか。
いったい、この安達ヶ原というやつは、どこで尽きるのだ。
七兵衛は歩きながら、こういう疑問をわれと自問自答してみましたが、七兵衛の地理学上の素養が、この際、それと明答を与えてくれませんでした。
それそれ、奥州の涯《はて》は外《そと》ヶ浜《はま》というところだと聞いている。してみると、この安達ヶ原を通り抜けると、外ヶ浜へ出る――外ヶ浜はいいが、浜となってみると、それからは海で、そこで陸地が尽きるのだ。安達ヶ原を乗切るのはいいが、乗りきって海へ出てしまったんではなんにもなるまいではないか。そのくらいなら、ドコかで方向転換をしなければならぬ。
方向転換の手段方法として、方位方角の観念だけは、七兵衛の経験と感覚が、その用を為《な》すに充分である。どう間違っても、天に日があり、地に草木がある限り、東西南北の観念をあやまるような七兵衛ではないが、しかし、
前へ
次へ
全551ページ中403ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング