ですか、この夜中に、あの人たちが……」
「ところが、どうです、お松さん、そらごらんなさいませ」
「どうしました」
「そら、バッテイラが戻って来ます、海の上を真一文字にバッテイラが、こちらへ向って来ます――バッテイラの舳先《へさき》には、カンテラが点《つ》いています」
「本当ですか」
「本当ですとも――お松さん、あたいの眼を信用しなさい」
と清澄の茂太郎は、海の彼方《かなた》の万石浦《まんごくうら》の方を見つめながら言いました。
茂太郎から、眼を信用しろと言われると、お松もそれを信用しないわけにはゆきません。茂太郎だの、弁信だのというものの五官の機能は、特別|誂《あつら》えに出来ているということを、日頃から信ぜざるを得ないのです。だが、この夜中に、あの駈落者の二人が、舟で舞い戻って来るとは考えられない。
そこで、半信半疑で、お松も暗い海の面をながめやりました。
百四十三
だが、ほどなく、茂太郎の予告の確実性を、事実がよく証明してくれました。
漁船の中を押しわけて、万石浦方面から飛ぶが如くにバッテイラが漕ぎつけられて来るのは、その舳先のカンテラの進行だけでもよ
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