晩はここへ上って、こうして人を待っているのですよ」
「誰を待っているのですか」
「いろいろの人を待っているのです、だが、いくら待っていても帰らない人があります、待てばそのうちには帰る人もあります、やがて眼の前へ直ぐに帰って来る人もあります。その第一の人は弁信さんで、あの人はいくら待っても容易には戻ってくれまいと思います。次は七兵衛親爺です、七兵衛親爺はいま直ぐというわけにはまいりませんが、待っていさえすれば、そのうちには帰って来ます。第三の人は、即刻只今、戻って来そうですから、それをあたいは、この檣《ほばしら》の上でお星様の数を数えながら、歌をうたって、待っているのです。皆さんはただ、わたしが道楽でこうしているとばっかりごらんになるかも知れませんが、これで待つ身はなかなか辛いのです」
「茂ちゃん、生意気な口を利くのではありません、誰がこの夜中に、ここへ戻って来るのですか」
「マドロス君です、それから、お嬢さんの萌《もゆる》さんです、この二人は今晩にもここへ戻って来る――あたいの頭ではどうもそう思われてたまらないから、それで、こうして遠見の役をつとめているんです」
「そんなことがあるもん
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