少しも崩れるのではありませんでした。
その時に、マストの上の茂太郎が、また前の姿勢に戻ってうたい出しました。
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留《とめ》の地蔵様
つんぼで盲目《めくら》
いくら拝んでも
ききゃしない!
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せっかく紹介しても紹介し甲斐がない。宣伝を試みても宣伝甲斐がない。我等うたえども、彼踊らず、です――下の凝り固まりがいっこう動揺しないものですから、茂太郎はあきらめてこういうふうに開き直ったのですが、それとても、イエスキリストを祈っている人に対しての当てつけでもなければ、御利益《ごりやく》の少ない地蔵様に対する冒涜《ぼうとく》でもない。歌を詩に直し、詩を歌に直し、もしくは、韻文を散文に直す一つの技巧――平俗に言えばテレ隠し、むずかしく言えば、唐代に於て「詩」が「詞」となり、「填詞《てんし》」ともなり「倚声《いせい》」ともなるその変化の一つの作用と見てもよろしい。
檣上の小宣伝家は、相手が唖《おし》であり、聾《つんぼ》である――或いは聾であるが故に唖であり、唖であるが故に聾――どちらでもかまわないが、これは相手にはならないと見て、また開き直って、次な
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