いました。内容が感情をよそにして、口調に左右されるまでのことですから、悲しい歌を、喜びの調べもてうたうこともある。喜びの唄を、かなしみの曲でうたうこともある。こうなり出すと、音声そのもののために、歌の内容も本質もめちゃくちゃにされてしまいます。ただ、音声そのものの有する交錯と魅力だけが、時を得顔に乱舞する。
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皆さん
イエスキリストは
よみがえりました
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茂太郎は器量一杯の声で、突然かく叫び出すと共に、例の般若の面を、また、しかと小脇に抱え直して、高いマストの上から、船の甲板の上をのぞき込むように見下ろして、
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ごらんなさい
この帆柱の下で
金椎《キンツイ》さんが
イエスキリストに向って
祈りを捧げています
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百四十一
今まで、海と空とを水平に見て、唄いたい限りをうたっていた清澄の茂太郎が、急に下の方の甲板を見下ろして、
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金椎さんは
イエスキリストを
信じています
あの人は黙って働きます
口が利《き》けないからです
金椎さんは
驚きません
耳が聞
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