した。
けれど弁信は少しもひるまず、
「米友さんや、わたくしは一昨晩――胆吹山へ参詣をいたしましたのです、その時に、あの一本松のところで、山住みの翁《おきな》に逢いました。たいへん、あそこは景色のよいところだそうでございましてね、翁は隙があるとあの一本松のところへ来ては、湖の面《おもて》をながめることを何よりの楽しみといたしまして、ことに夕暮の風景などは、得も言われないと賞《ほ》めておりましたが、その時にわたくしが、わたくしの眼ではその美しい風景も見ることができませんが、そんな美しい琵琶の湖にも、波風の立つことがございますかと聞きますと、それはあるとも、ここは胆吹の山だが、湖をさし挟んであちらに比良ヶ岳というのが聳《そび》えている、胆吹の山も風雪の多い山ではあるが、湖に対してはそんなに暴風を送らないけれども、あちらの比良ヶ岳ときては、雪を戴いた山の風情《ふぜい》がとても美しいくせに、湖にとってはなかなかの難物でございますって――それと申しますのは、若狭湾《わかさわん》の方の低い山々から吹き送られてまいりまするところの北西の風が、ことのほかにたくさんの雪を齎《もたら》し来《きた》るのだ
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