すのを舟に譬《たと》えてございます、善巧方便《ぜんきょうほうべん》を以て弘誓《ぐぜい》の舟にたとえているのでございます、般若波羅蜜多《はんにゃはらみった》は即ちこの到彼岸の大誓願の真言なのでございます。日蓮上人の御歌にも、ここに人を渡し果てんとせしほどに、我が身はもとのままの継橋《つぎはし》というのがございまして、人を度《ど》して自ら度せずというのが、またこれ菩薩の本願なのでございます。生々《しょうじょう》の父母《ぶも》、世々《せぜ》の兄弟《はらから》のことごとく成仏して而《しか》して後に我れ成仏せん、もし一人《いちにん》を残さば、われ成仏せずと、地蔵菩薩もお誓いになりました。極楽の御法《みのり》の舟に乗りたくば、胸の塵をばよっく鎮めよ、と御詠歌の歌にもございます。すべて舟というものはめでたいものでございますが、特に到彼岸の意味に用いられます場合に、果報この上もなくめでたいのでございます。わたくしの竹生島詣では、多年の誓願の一つでございまして、今日という日に、はからずもその誓願を果すの機縁をめぐまれました。長浜から竹生島までは、僅かに三里の舟路でございますが、目かいの見えぬわたくしと致
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