てしまったのです。
 この湖岸の城跡というのが、そもそも名にし負う、羽柴秀吉の古城のあとなのでありました。秀吉が来るまでは今浜といったこの地が、彼が来《きた》って城を築くによって、長浜の名に改まりました。はからずここへ足を踏み込んで、弁信法師は杖《つえ》を立てて、小首をかしげてしまったのは、湖岸としての感覚と、古城址としての風物が、その法然頭《ほうねんあたま》の中で混線したからではありません。そこで、意外にも、例の残塁破壁の中に、動物の呼吸を耳にしたからであります。
 思いがけなくも、何か一種の動物があって、この残塁破壁の中で、快く昼寝の夢を貪って鼾《いびき》をかいている。
 それが弁信法師の頭へピンと来たものですから、杖を止めてその小首をかしげたのですが、これは、虎《こ》でもなければ※[#「「凹/儿」」、第3水準1−14−49]《じ》でもありませんでした。本来、琵琶湖の湖岸には左様に猛悪な猛獣は棲《す》んでいないのですが、そうかといって、穴熊の如きがいないという限りはない。
 しかし、幸いに、穴熊でもなかったと見え、弁信が小首を傾けた瞬間に、向うがハタと眼を醒して、
「誰だい、そこへ
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