ぱいな感謝の心を見せてやることができようかと、奥様はその思いに悶《もだ》えました。でもさすがに、武家の奥様でございますから、厳格なところはどこまでも厳格でございました。質朴な若党は、主人の奥様に対して忠義を尽すことは、あたりまえのこととしか考えていなかったのですが――いつしか、この奥様の自分に頼りかたが、全く真剣であることを感じて、それが全く無理のないことと思いやった上に、自分もどうしても、もう他人でないような親身の思いに迫られて来るのです。
 さあ、長い月日の旅、この主従がいつまで主従の心でいられましょうか――二人のおさまりがどうなりますか。
 あなた、判断してみて頂戴よ。
 と、女がまたクルリと寝返って、兵馬の方に向いてニッコリと笑いかけました。

         百二十九

 長浜から、琵琶湖の湖面へ向って真一文字に、一隻の小舟が乗り出しました。
 舟の舳先《へさき》の部分に、抜からぬ面《かお》で座を構えているのが、盲法師《めくらほうし》の、お喋《しゃべ》り坊主の弁信であって、舟のこちらに、勢いよく櫓《ろ》を押しきっているのが、宇治山田の米友であります。
 これより先の一夜、胆
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