ておりました。
 若党は百姓の出でしたが、面つきだって凜々《りり》しいところがあり、それに、がっちりしたいい健康と、それに叶う肉体を持っておりました。
 こうして主従は、心の中で感謝したり満足したりしながら、敵をたずねて旅の日を重ねたのですが、もとより当りがあっての旅ではないのです――明日敵にめぐり逢えるか、十年先になるか、そのことはわからないのです。
 そうして行くうちに、奥様は、旅の前途が心細くなればなるほど、この男を頼む心が強くなるのは当然です。頼られれば頼られるほど、奥様をいとしがるのが男の人情です。奥様の路用がだんだん軽くなるのを察した若党は、奥様に知らせないように、路用の足しを工面《くめん》することに苦心しました。お米の小買いをして来て、木賃で炊いて食べさせたり、畑で野菜を無心したり、漁場で魚を拾ったりなどして、奥様のお膳に供えることもありました。奥様はそれを知って、胸には熱い涙を呑みながら、表には笑顔をもって箸《はし》をとりながら、世間話に紛らしたものです。
 奥様の心の中は、この下郎に対する感謝と愛情でいっぱいです。奥様はこの若党に、まあ、どうしたらこの男に、この胸いっ
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