主従は極めてつつましやかな旅をいたしました。
 この間、若党の奥様に仕えることの忠実さ、道中は危ないところへ近寄らせないように、時刻もよく見計らって、宿へ着いての身の廻りからなにから、痒《かゆ》いところへ手の届く親切ですから、奥様としては、全く不自由な旅へ出たとは思われないくらいの重宝《ちょうほう》さでした。
 この下郎の、こんな忠実な働きぶりは、今にはじまったことではなく、亡き夫のいる時分から邸に於て、この通り蔭日向《かげひなた》がなかったのですが、こうして旅へ出てみると、この親切さが全く骨身にこたえる。
 奥様は、家来とは言いながら、蔭では手を合わせてこの下郎の忠実に感謝をしました。
「いわば一期半季の奉公人に過ぎないあの男が、こうまで落ち目のわたしに親切をしてくれる、人情も義理も、まだ地へは落ちない、家来とは言いながら、思えば勿体ない男……」
と奥様は、表では主人としての権式《けんしき》を保っていましたけれども、内々では、杖とも柱とも頼みきっておりました。
 奥様とはいうけれども、若党とは年こそ十も違っているけれど、中年の武家の奥様として、申し分ない和《やわ》らかみと、品格を持っ
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