に宿屋を営んでいるというものはなく、頼めばどこでも泊めてくれる。
だから、特に客座敷というものもない。木地《きじ》小屋が空いているからといって、そこへ泊めてくれました。
別座敷へ特に優遇の意味です。
兵馬は、女がすすめるのも聞き入れず、草鞋《わらじ》を取っただけの旅姿で夜を明かすべく、炉辺の柱にもたれていました。
「わしは旅に慣れているから、これでよろしい、君は慣れない身でもあり、薄着で困るだろう――」
と言って、自分の合羽《かっぱ》をまで女の薄い蒲団《ふとん》の上に投げかけて与えました。
女は、いろいろとお詫《わ》びしながら、先に寝入ったのです。
この小屋は、特に木地の細工をするために建てたのですが、壁がありません。がっちりとした板囲いです。
夜もすがら室内の気温を保つ意味に於て、絶えず適当の焚火《たきび》を怠りませんでした。
疲れが出たものか、女はすやすやと寝入ったようです。
兵馬としては、こういう旅の宿りは今にはじまったことでないが、ただ気がかりになるのは前途のことです。およそ白山《はくさん》、白水谷を越えて、飛騨の国から、加賀へなり、越中へなり、出ようとする道は
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