るの、待つ人の気も知らないでさ」
「そんなどころではない」
「どうしたんですのよ、あなた」
 甘えた言葉つきで駈け寄って来たのは、何か事ありげには相違ないが、危険性は去っている! こう見て取ったものですから、飛びつくように駈け寄って来て見ると、兵馬の眼の前に人間が二人、倒れていました。酔い倒れているのではない、血を流して斃《たお》れ伏しているのだ。
「あれ――」
 福松は兵馬の後ろへ、文字通りにしがみついてしまいました。
 それでもまあ、気絶はしないで、ようやく落着きを取返しているうちに、兵馬から委細の事情を聞きました。
 聞いてみると、二人はここで最後の酒宴を催した後、枕を並べて一種異様の心中を遂げたのだ。仏頂寺弥助は太刀を抜いて腹を掻《か》き切っている――その膝の下に丸山勇仙がもがき[#「もがき」に傍点]死《じに》に死んでいる。これはべつだん負傷はないが、傍らに薬瓶らしいものが転がっている。毒を呑んで死んだと思われる。何のために、何が故に、ここで二人は枕を並べて死んだか、それは分らない。
 兵馬と福松とが、悪い相手を外そうとして隠れている間に、二人は死んでいたのだ。こんな野立てで酒
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