のです。それはまだ、夜陰に乗じて無断で人を斬る流儀もあるにはあった。しかしそれは「辻斬り」という立派な(?)熟語まで出来ている変態流行である。時としては、刀の利鈍を試むるために、手練の程度を確むるために、或いは胆力を養成するために、この変態の殺人を、暗に武士のみえとした風潮もある。今いうような単に「無礼討ち」ということは有り得るが、神尾のように白昼、無茶に斬りつけるということはない。「昼斬り」「町斬り」というような熟語は、まだ出来ていない。
そこで神尾は、自分の行動の全く無茶であったことを考えずにはいられなかったのですが、そうかといって、決して後悔や憐憫《れんびん》を感じたのではないのです。罪なき百姓を斬ってかわいそうだと思いやり、我ながら浅ましいことをしてけり、と後悔の発心をしたわけでは微塵ないのです。百姓なんぞは幾人斬ってもかまわない、このくらいのことで、済まなかったと考える神尾ではないが、ここで捕まれば一応再応は吟味を受ける、そうなると必ず自分の分が悪くなる、そこで、取押えられてはならない、この場合は一刻も早く逃げなければならない、何を措《お》いても身を隠すことが急だ! それよ
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