て悪いという理由はさらにないのです。
 しかし、仮りに神尾主膳をして大名の格式を持たせた時には、下に下にの下座触《げざぶれ》で、百姓を土下座させて歩く権式を与えられていたかも知れないが、いかなる将軍大名といえども、眼ざわりであるが故《ゆえ》に斬ってよろしいという百姓は一人もないはずです。神尾が今日、人を斬ったのは、毫末《ごうまつ》も先方が無礼の挙動をしたからではない。
 百姓町人が武士に対して無礼を働く時は、それは武士の面目のために斬り捨てても苦しうないという不文律はある。それはあるけれども、そういう場合ですら、斬らずに堪忍できる限り、堪忍するのが武士の武士たる器量である――という道徳律もある。今、ここで通りかかった百姓は、果して水戸在の百姓であったかどうか、分ったものではない。ただ通りかかったというだけで、なんらの宿怨《しゅくえん》も、無礼もあるものではない。
 強《し》いて言えば、向うが突き当ったというけれども、先方が突き当ったというよりは、神尾の歩きぶりに油断があったのである。それを一言の咎《とが》め立てもなく、理解もなく、やみくもに斬りつけたのだから、誰がどう考えても理窟はない
前へ 次へ
全551ページ中311ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング