百十

 鐚が飛び込んで玄関に倒れた屋敷の中の広間では、十名ばかりが集まって、大きなしがみ火鉢を中にして、いろいろと話をしていました。
「三《み》ツ目《め》錐《ぎり》は、今日は大へん遅いじゃないか」
と、その中の一人が言いました、三ツ目錐といえば、むろん神尾主膳のことでしょう。してみると、神尾は、たしかにこの家を目的に出かけてきたものに相違ない。
「鐚《びた》が――そそのかしに行ったはずだ」
と同人の一人がまた言いました。鐚というのは即ち金助のことに相違ない。してみると、神尾が今日この席へ来ることも、神尾を誘惑に鐚を遣《つか》わしたことも、これらの連中の差金《さしがね》であるか、そうでなければ、いずれも同腹と見なければならぬ。さればこそ、鐚の奴も、命からがらああして逃げては来たが、やっぱり本性は違《たが》わずに、落着くべきところへ落着いたのだ。
「それにしても遅いな」
「遅いよ――鐚に申し含めてあるのだから、抜かりはないはずなんだが」
「正七ツ、三輪《みのわ》の金座――それは間違いないな」
「金座違いで、本町の方へでも出かけやしないか」
「そんなはずはない、鐚がよく心得ている」

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