えると、主膳はたあいもなく納まる。そうでなければ酒だ。傍えに酒があれば手当り次第にあおることによって、この興奮を転換させる。転換ということは解消ではない。一時、その興奮を酒に転換させて、方向だけをごまかしてみるだけのもので、酒をあおるほどに、興奮がやがて捲土重来《けんどじゅうらい》して、級数的にかさ[#「かさ」に傍点]にかかって来るのは眼に見えるようなもので、そこで例の兇暴無比なる酒乱というやつが暴れ出して来て、颱風以上の暴威を逞《たくま》しうする。
 今日は、この場にお絹がいない――酒がない。
 お絹は異人館へ泊り込んでいる。
 酒類は一切隠されている。使を走らせても、近いところの酒屋では融通が利《き》かないことになっている。主膳は立って荒々しく押入や戸棚をあけて見たけれども、この興奮に応ずる何ものもない。
 そこでまた、机の前に坐り直したけれども、どん底からこみ[#「こみ」に傍点]上げて来る本能力をどうすることもできない。三ツの眼が烈しい渇きを訴えて、乳を呑みたがる、真白い乳を呑みたがる。咽喉《のど》の方は咽喉の方で鳴り出して、酒を求めて怒号しているのに、眼は乳を呑みたがっている。
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