、悪く睨まれてもつまりやせんからねえ――だが、時勢が、どうも、だんだん大弐様のおっしゃる通りになって行くようなあんばいで、近頃はああやって、徳大寺様のようなお身分の方までが、わざわざお墓詣りに来て下さる――この土地の村々でも、大弐様の書き残した本などを読むものが殖えてきましたよ」
九十八
神尾主膳は、根岸の控屋敷の居間で、顎《あご》をおさえながら、机によりかかって、二日酔いの面《かお》をうつらうつらとさせている。
今日は、好きな字を書いてみる気もなく、例の筆のすさみの思い出日記の筆をとるのもものういと見えて、起きて面を洗ったばかりで、朝餉《あさげ》の膳にも向おうとしないで、こうしてぼんやりと、うつらうつらして机にもたれているところです。
ぼんやりと、うつらうつらして、やや長いこと気抜けの体《てい》でありましたが、そのうちに、さっと二日酔いの面に、興奮の色がちらついたかと見ると、三つの眼が、くるくるっと炎のように舞い出してきました。
神尾主膳には三つの眼があること――これは申すまでもなく、染井の化物屋敷にいた時分に、弁信法師のために授けられた刻印なのです。額
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