み》として受け納めた与八は、別に新しい笠を換えてお婆さんに贈り、そうして二人は、この教場を立ち出でました。天気が良くて、釜無川の沿岸から八ヶ岳の連峰が行手に聳《そび》えている。与八は歩きながら、お千代婆さんに向って述懐を試みる。
「うちの大旦那様が、今、上方《かみがた》へ向けて旅をしておいでなさる、上方見物という名代《なだい》だが、本当はたった一人の娘さんのことが心配になるのでしょう。その娘さんというのは、きかない気のお嬢様で、お父さんの大旦那ももてあまして、お嬢さまのなさるように好き自由にさせてお置きなさる。こんど近江の国の胆吹山《いぶきやま》というところの下へ、そのお嬢様が広大な地面を自分でお買いなすってね、そこへ一つの国をこしらえるんだそうです、何をしでかしなさるのかわからない。こちらの大旦那という方も、実はお気の毒な方なので、この通り甲州第一等の身上でおあんなさるのに、御家族運が悪くてね、たったひとり残ったお嬢様がその通りなんですから、お大抵の心配事ではございません。上方へおいでになっても、またそのお出先で、お嬢様と衝突がなければいいと、みんなそれを心配しているんでござんすよ。
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