れから金次郎様が三志様をお招きになって、村人に説教をしてお聞かせ下さる、村人が追々に金次郎様の御誠心と、三志様の御説教がわかってきて、桜町の復興のことも立派に成就《じょうじゅ》いたしました。それは、一つには金次郎様のお力、一つには三志様のお力でございました」
 与八の頭は、特にそういう話をよく受入れるように出来ている。曾《かつ》て武州|登戸《のぼりと》の丸山教の教祖様に似ていると感心させられたこともあり、木喰五行上人《もくじきごぎょうしょうにん》と比べられたこともありましたが、ここでは、鳩ヶ谷の三志様という人と比べられているのであります。
 しかしお婆さんは、最初のうちは、与八の人相の引合いとして三志様なるものを持ち出したのですが、今は、与八の人相はそっちのけになって、鳩ヶ谷の三志様の鑽仰《さんぎょう》で持切りになってしまいました。
「三志様は京都へおいでると、必ず御所の御門のところへ行って跪《ひざまず》いて、天子様の万歳をお祝い申し上げる、それから下野《しもつけ》の日光山にまいりますと、権現様の前へ跪いて天下の泰平をお祝い申し上げるのです。それがもう、一度や二度のことじゃございません
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