よ、何百回となるか数えきれないほどでござんしてね。それから、富士のお山へ登りまして天下泰平五穀豊年のお祈りをすることが百六十一度でございました。が、天保十二年の九月に七十七歳でお亡くなりになりました。わたくしたちも三志様の教えを受けたお弟子の一人でしてね――お前さんの御人相が、その三志様にそっくり似ておいでなさる」
 二宮金次郎様というような名前は、与八も、子供を教える時に、お松あたりから聞いて知っているが、鳩ヶ谷の三志様だけは、どういう人かよくわからないが、金次郎様に負けない徳行の人であると思っている。
 お婆さんの物語る、そういう語りぶりを、与八が実によく神妙に受取るものですから、お婆さんもいい心持になって、語り続けました、
「中興の食行様《じきぎょうさま》は、江戸の巣鴨に住んで、油屋を営んでおいでになりました。富士のお山の麓には、食行様が立行《りつぎょう》というのをなさった石がございます、その石の上へ立ったままで御修行をなさいましたので、石へ足の指のあとがちゃんと凹《くぼ》んでついているのでございますよ。食行様は御一生の間に、富士のお山へ八十八回御登山をなさいました、そうしていつ
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