納まってしまいました。
 そうこうしてお婆さんは湯槽から板の間に出ると、小桶に湯を汲んで自分の身を洗いはじめますと、いつのまにかお婆さんの後ろには与八が立っていて、
「お婆さん、流しましょう」
と言いました。
「済みませんねえ」
 お婆さんは心から感謝しつつ、それでも辞退はしないで、与八の方へ背中を向けていると、与八は和らかにお婆さんの背中を流しはじめたのです。
「ねえ、若衆《わかいしゅ》さん」
 いい心持になりながら、お婆さんは改まった調子で与八に問いかけましたから、
「何です、お婆さん」
「お前さんに一つ、聞きたいことがあるのですがねえ」
「わしにですか」
「はい」
「わしゃ何も知らねえでがすよ」
「聞きたいというのは、ほかのことじゃないがね、今、ここで見ていると、お前さん、わしの草鞋を棚へしまって下すって有難う」
「どういたしまして」
「その時に、お前さん、わたしの草鞋へ何か変なことをしやしなかったかね」
「なあに、別段、悪いことをいたしやしませんでした」
「悪いことじゃないよ、変なことをね」
「別に変なこと、何もしやしませんよ」
「そうじゃありませんよ、ちゃんと、こっちで見てい
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