木から転び落ちて打った傷もあろうし、隣村の悪太郎からこば[#「こば」に傍点]石をぶっつけられた合戦の名残《なご》りと見られるものもあろうし、時とすると、真剣で浅く一殴りやられたものではないかと思われるほどの三日月形のも見えるのです。
 そこで、改まって茶店の前で身構えをした時には、役人をはじめ、見ている者が、なんとなく穏かでない気分に襲われました。
 やがて、腰のところへ手をあてがって、いわゆる居合腰になったかと見ると、スラリと水の出るように三尺五寸の長い刀を抜き出して、そうして、それを役人の目の前へ持って来て、ピカピカ二三べん閃《ひら》めかしたと思うと、スラリとまた鞘《さや》の中へ叩き込んで、多少の鍔音《つばおと》もさせませんでした。
「ごらん下されたか」
「うむ――」
「いかがでござりましたか」
「うむ――」
 役人は、もう一ぺん改めて抜いて見せろとも言わず、こちらへよこせ、自分で抜いて見届けて遣《つか》わすとも言いませんでした。柳田の挙動に気を呑まれたというわけではなかろうが、最初の約束に、一度限り見せて進ぜる、いかにも一度限り、苦しくない――という誓言《せいごん》が物を言って、
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