ことがあったから、ここで、頬かむりに就いても一応の知識がなければならないことになる。覆面と言い、頭巾というものは、特に一定の型があって、一応は縫針の手を通さなければならないように出来ているのであるが、頬かむりは違います。
頬かむりというものは、通則として手拭を使用することを以て、今も昔も変らないことになっている。手拭というものは本来、頭巾の代用のために、覆面の利用のために出来ているものではない。木綿を三尺に切って、相当の形に染め上げ、その名分よりすれば手を拭うことにあるのですが、その職分は決して、手だけに専門なるものではない。面も拭えば、足も拭うことがある。時としては風呂敷の代用もつとめれば、繃帯の使命を果すこともある。
演劇で、これをカセに使って見物を泣かせることもある。仁義のやからは、これが一筋ありさえすれば、日本国中を西行《さいぎょう》して歩くこともできる。どうかすると、このものを綴り合わせて浴衣《ゆかた》として着用し、街道へ押出すものさえあるのです。
その効用の一つとして、これを即座の覆面に利用して、称して頬かむりという。本格の覆面にもかぶりこなしの巧拙がある以上は、この
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