なお、この頭巾を取らないのかも知れない。この人は、母の胎内から頭巾を被《かぶ》って生れ出たのではないかと疑う人さえあるかも知れない。
お銀様が、今は燈火に面をそむけて、しなやかな手を首筋に当てて、おもむろに頭巾を解きにかかりました。多分、あの辺に手をやるからには、頭巾の結び目をさわるために相違ない。そういうしぐさをしながら、
「いかがです、今晩は収穫がございましたか」
と、次なる部屋の方へ、水の滴るように穏かな声でといかけました。
「ははは」
と、隣からは軽く、笑うでもなく、さげすむでもない返事。続いて、
「駄目だ――」
七十一
「いけませんでしたか」
とお銀様の声――まだ頭巾は外していないのです。
「いけないね、犬が邪魔をして」
と、これは隣室の返事。そうすると透かさずお銀様が、
「そうでしょうとも、昨夜からの犬のなき声が変だと思いました」
「変だ、変だよ、どうも犬が……」
「お気の毒ですねえ、あなたも焼きが廻りましたね、犬に邪魔されるようになっては」
「いや、上方《かみがた》の犬はまた格別だ」
「なに、格別なことがあるものですか、同じ畜類ですもの、犬がいけ
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